最期まで「○○を頼む」と言わなかった母


私は母に対しては、亡くなってからの方が恨みが増してきました。今は収まりましたけどね(*'▽')

統合失調症の次兄にとっては、母は絶対というか、「母である」ということだけで唯一の心のよりどころだったのだろうなぁと思います。

その証拠に、母が亡くなった後に次兄は再発しましたので・・・


*****


その母、次兄発症後から亡くなる直前までにやはり変わっていきました。非協力的だった父・・母はひとり奮闘しました。それは認めます。

まだ発症して数年のころ母は「絶対あんたには迷惑をかけへん!」と言っていました。「私が死ぬ時あの子も連れて行く。」なーんて。

次兄20代のころは、親戚に相談して作業所を紹介してもらって・・数年通っていましたけど辞めて、30代、40代・・特に何をするでもなく過ぎましたよね~。

父はもともと非協力的だし、母も自分の人生楽しまなければ!!というところがすごくあったように思います。スキーや旅行にも行きましたし、退職後もボランティアに行って、冬になればスキーだ海外だ~(*_*;

ボランティアもいいけど、自分の息子どうすんねん?と思っていました。

両親が家族会に参加する、統合失調症について勉強する・・そういった姿をついに見ることはありませんでした。


私は焦りました。


このままでは、私が次兄の面倒を見なくてはいけなくなる!

私20代後半あたりか・・次兄をどうするのか?と質問すると、母は逆切れするようになってきました

「ほな何か?あの子を施設に入れろちゅうんかっ?」

このままでは私が見ることになるやん、あんたには迷惑かけへんってゆうてたくせに・・・そういう意味のことを言うと「結局はそうなるしかないやろ?現実問題としては。」と言うような答え方をしました。

ひどい話です。

社会的入院はもちろん問題と思いますが、それができるのは親しかいない。妹の立場で兄をどうこうできるわけがない。施設がないなら病院に入れるしかないのでは?・・・やきもきしても、両親は何も手を打ちませんでした。

そして・・・母が2007年にすい臓がんになって来る時が来たなぁと思いました。

亡くなる数カ月前、母に「○○(次兄)のこともなんとか考えんとあかんなぁ。」と言うと母はこう言いました。


「○○?ああ○○はもう私の手から離れた。」


よしもと新喜劇のように椅子から転げ落ちそうになりました。転げ落ちたったらよかった。いつ離したん?なあ?いつ?えらいすっぱり離したなぁ~!!!


*****


母は最期まで私に対して、次兄をよろしく頼むとは言いませんでした。

『結局どうにもできなかった、迷惑かけへんつもりでいたのはほんまやけど、アカンかった。お金はアンタに残すから○○の面倒見てやってくれるか?』

そう素直に頼んでくれたらどれだけ私は救われただろうか・・と思います。

今はイヤイヤでなく、次兄をサポートする気持ちになりましたが、母亡き後、決して私に対してお願いもお詫びもしなかった母への憎しみ・怒りに私自身もメンタルをやられかけ、過食嘔吐がやめられない日々がありました。

今、50代60代の親を持つ統合失調症患者のきょうだいに言いたい。

今、何らかの対応をしようとしない親が、70代80代になってできるわけはありません。

どうかあなた自身のために、動き始めてください。

2016年11月7日記す。

いつもよおすかわからない( ;∀;)